2011年10月24日月曜日

匿名性という武器

おそらくここ数年の事だと思うのですが、一年中マスクをしている人が増えました。で、うち何割かは花粉症や風邪以外で着用しているようです。

なにか客観的なデータが抽出できるような調査を行った訳ではないのですが、確実に増えている。今、病気ではないと書こうとしたのですが、病気かもしれない、おそらく内科や耳鼻科以外にかかるべき病気でしょう。

顔を、それなりに不自然な事なく隠す事が出来る。人によっては性格すら変わっているのではないかと思います。私は気が短いので、そのうち「とりあえずマスクを取れ」と言う日が来そうです。

顔が見えないので普段と違う事が言えるということは大いにあり得る事だと思います。顕著なのはインターネットでしょう。

『ブラックマシーンミュージック』という本でテクノやハウスを制作するにあたり、他の音楽とは異なりプレイヤビリティ、楽器が出来る/出来ないという身体的な条件から解放されたという文章があります。ドラムを叩く事が出来なくてもかなり正確にリズムを刻む事が出来る、といった話です。

これはそのままインターネットでの(言論)活動にもいえます。自らがその場に現れなくても表現できますので、いわゆるイケメン/不細工みたいな見た目から解放されます。それから声色や話し方(吃音なども含む)からも解放されます。そう考えると生身のコミュニケーションというのは実に「内容以外」の要素をたぶんに含んでいるのだなと、なぜかため息が出てしまいます。

あらゆる身体的条件から解放されたコミュニケーションが素晴らしいかというと、実際は全くそんな事はないということはこれまでの経験で明らかです。復讐みたいなものなのでしょうか、半ば怨嗟にとりつかれたような悪態を見る事が少なくありません。

人は道具と愛し合う事はありません。一方的に愛する事はできても、道具から愛を引き出す事はできません。せめて道具が機嫌を損ねないようにと祈る事しか出来ません。道具に生殖機能がないのも遠因かもしれませんが。

PCを使って愛を育む事はあり得るでしょう。デバイス上に現れた文字を見て想像をかき立てる事もあると思います。しかし貴方がマスクをし続けるかぎり彼(彼女)は貴方をコミュニケーションの相手とは捉えません。それは道具であって、機嫌を損ねないようなだめたり持ち上げることはあっても、それは利益を引っ張りだすためだけであって、貴方を慈しむからではありません。

話の落としどころを見つけられませんでした。インターネットに真実などはありませんし、wwやその他好意的なリアクションを見せる彼は、本当はいないかもしれない。これはただの道具であって、何も救ってはくれないよ、とかそう言う話だったかも知れません。

0 件のコメント:

コメントを投稿