2014年3月30日日曜日

マイルドヤンキー論、個人的には一件落着。

昨今、ブログ界隈のみを賑わせている(=実際には賑わっていないんじゃねえの)ヤンキー論について。
実はこれらの記事の類いは斜め読みなので詳細はわかっていないのですが、ここで使われている"ヤンキー"なる語は純粋なマーケティング用語であって、それがやや逸脱し始めたぞという話です。それで田舎出身、かつ郊外在住の自分としてはそのマイルドヤンキーの拡大解釈に違和感を感じていました。

(シロクマの屑籠)

「マイルドヤンキーとはわざわざ東京に出るまでもなく十分楽しくやっていける“地元のリア充”が一緒くたになった語彙と考えて差し支え無い」
「(マイルドヤンキー層は)日常的なコミュニケーションシーンで学問知をひけらかすような粗忽さとも縁が無い。だから、地方のショッピングモールを物見遊山で訪れる人達からみれば、いかにもヤンキー的な人物とうつるかもしれない。だが、必要性を感じさえすれば、彼らとて学問的な知を学ぶことを厭わない。」
「ソフトヤンキー・マイルドヤンキー・ヤンキー的なもの……といった語彙は的を射たところがあると思うけれど、【ヤンキー文化圏由来のコンテンツや服装を身につけている=貧困で反知性主義】のごとき短絡は、避けなければならないと思う」


マイルドヤンキーが"地元のリア充"であるという部分でその通り!と、膝を叩きました。また僕が感じていた違和感はまさしく"「ヤンキーはかわいそうな貧民(そして俺達はそうではない)「ヤンキーは反知性(そして俺達はそうではない)」的な受け取り方"であったわけです。さらに言えば"ファスト風土のマーケティング論"という言葉も的を得ています。ていうか、この言葉でてこなかった自分が情けないです。

また上記リンクに引用されている「マイルドヤンキー」という言葉があぶり出した日本の階層http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20140326/261791/もわりと正鵠をえているとおもいます。
「都心であれば、家庭環境に恵まれている子どもの多くは小学校からお金のかかる私立学校に通いますので、そもそも、「マイルドヤンキー」の存在そのものが認識されることがない場合もありえるでしょう」
「「マイルドヤンキーが増えている」とか「これからはこの人達の消費動向を注目するべきだ」とかを最近メディアで話されている著名人の経歴をウィキペディアで調べてみました。すると、やっぱりといいますか、地元でも有数の進学校に高校時代から通っている方がほとんどでした」
→それどころかこれらを引用・孫引きしているブログの筆者のいくらかは絶対ヤンキーにこずかれてたんだろうという気すらします。呪詛を感じる。ちなみに、筆者の慎さんもいい学歴だ(余談)。
現在のマイルドヤンキーの語の流行は階層の可視化ではないかという慎さんのご意見は大切だと思います。マイルドヤンキー層が階級として発見されたということです。もしかすると僕にとっても他人事ではないかもしれません。

ということで注目は止めず、しかし書くのは止めようと思います。若干飽きてるし。今後はマイルドヤンキー説に対抗する郊外の自称知的階級のことなどが取沙汰されたらまた書いてみます。てなんのこっちゃ。




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