2012年4月13日金曜日

ドライブをした。

11日の水曜は自らが主催するDJパーティ【THE MILD】Vol.12だった。SHACKLETONの“DEATH IS NOT FINAL”の低音が思った以上にぶりんぶりんなのに驚いた。羽目を外した音だ。「KEEP IT CHEAP」の5番も大きな音で聞くと非常にかっこいい。ほんとに、DJしかいないのが残念でならない。

 ビデオ個室で一泊し、内田樹の『呪いの時代』を購入して帰宅した。

 今日は天気がよかったのでドライブに行きたくなった。最近、妻が職場を異動になり、職場の最寄りの駅から徒歩で通勤出来るようになった。それまでは職場近くの駐車場を借りて、そこから自動車で通勤していたのだ。
 クルマが通勤には不要になったため、現在は我が家の駐車場にとめてある。先週もクルマを借りて近所を走行した。

 首都圏に住むとクルマは基本的に必要なくなる。わんさか駅があるからだ。そのため、脳内の地図は各駅を中心に拡大していく。渋谷なら、渋谷駅を中心に私の中で「シブヤ」は描かれていく。

 クルマになるとその地図の変更を余儀なくされる。それまで空白だった駅から徒歩圏外の場所が頭の中に書き足されていく。今はそれが楽しい。相模原市は中心部を走る鉄道がなく、そこを国道が走っている。相模大野と橋本の間の空白が書き足されていく。

 頭の中に地図がないので当然迷子になる。しかし徒歩での迷子に比べて肉体的な疲労が 少ないので迷子もまた楽しい。今日は淵野辺のディスクユニオンから上溝方面を通って帰宅しようとしたが、見事に迷った。見慣れぬ景色や単線の線路、高台からの相模川の風景がとても興味深く楽しく迷うことが出来た。

 それから、圧倒的な移動距離。男の子は移動距離に憧れるのだ。移動距離の範囲が「オトコ」のスケールを決定づける。
 例えば、以前の職場で料理をしていた男は知り合いがアメリカに店を出すので来てくれないかと頼まれた。彼はアメリカに行っても取り敢えず仕事にありつけ、生活することが出来る。彼の移動範囲はアメリカを含むことになる。私はといえば、ここから静岡の実家、兄が住む浜松辺りが移動範囲の限界だろう。スケールの違いが良く分かる話だ。

 そういうわけでクルマは男の子に移動距離の物語を仮想体験させてくれる。 今日運転しながらセカイ系はクルマでの旅行と似ているかもしれない、と思ったりもしたが、その仮説は穴だらけなのでまたまとまったら書く。

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