2012年7月30日月曜日

facebookなどを通じて感じたこと


 割とテンションが良好らしく、続けざまに曲の紹介を書いて、コンビニでタバコ買ってきて、「もう一本くらい行けるかな?」などと思っていましたが、別に書きたいことが思いついてきたので、現下ここに書き起こしている次第です。

 googleの2段階認証?ぼんやり登録してましたが、面倒です。そのうちgoogleにアクセスできなくなりそうです。googleやfacebookのアカウントはそのままほかのサイトの個人情報登録に利用しているので、今後、どこかで躓く気がします。

 この二つ、それからtwitterがインターネット上で個人情報を開示することのハードルを下げたでしょうか。というよりは「同期することの利便性」がより広範囲にわたって確認できるようになったことのほうが大きいでしょうか。

 私もmixcloudやInstagramのアカウントを作成するときにクリックひとつで(ほぼ)完了してしまったときには「便利だなや〜」と感心しました。

 mixcloudではfacebookのアカウントを使うので、私は自分の職業欄を削除しました。ストリーム形式なので著作権法はパスしている(英の法律では)ので問題はないのですが、それでも日本のCD屋で働いている人間が無許可で楽曲を使用したものをアップロードするのはどこか気が引けます。
私のミックスが問題になるほど話題にならない、という点は見落としていました。

 facebookの基本実名登録、という姿勢は私に無許可で楽曲を使用することにある程度の抑止力を及ぼしました。今後この傾向は少しずつ、緩やかに強化されていくような気がします。
 実名、職業、顔写真、出身地などその他プロフィールが正確であるほど「同期することの利便性」は向上します。facebookで言えば友人が見つかりやすくなります。趣味も公開していればそこから交友のきっかけが生まれるでしょう。
 その利便性を確保するために、たとえばmixcloudの利用を控えるという選択肢も当然あると思います。自分のプロフィールにケチがつかない選択、といえばいいでしょうか。

 facebookを起点にしたインターネット上のプロフィールの運用は「見られても恥ずかしくない」ものになっていくでしょう。ここで「緩やかに強化」される傾向とは、公開されていないプロフィール、たとえば職業欄が空いていれば「公開できないような(卑しい)仕事をしているのかな」とネガティヴに判断されてしまうような傾向です。
 今なら空欄に対して「公開したくないのかもしれない」と「公開できないような何かがあるのかもしれない」という予想のどちらをするかと言えば圧倒的に前者なのですが、今後、「利便性」が拡大したおりには後者の判断がなされてしまうことも考慮すべきだと思います。
 利便性の拡大。たとえば就職時にネット上に公開されているプロフィールを利用すること。 これが一般化すれば公開されていないことに対してネガティヴに捉えられる可能性は十分にあります。
 今後、プロフィールを公開しないということは仮面舞踏会でつけるような仮面をして人と会うようなもの、と捉えられるかもしれません。想像していただけると思いますが、どこかの会社の営業の方が仮面を付けて営業にくれば、「ふざけている」と思うことでしょう。非公開はそれなりに信用を削ぐ行為になろうかと思います。

 ただ気をつけなければいけないのは自分がその立場にたったからといって、ネット上の人すべてがその考えに賛同しているわけではないという点です。プロフィールなど、いくらでも嘘をつくことができますので、悪事用のプロフィールを作成する輩も当然おります。自分(のプロフィール)に攻撃してくる人間も当然いるでしょう。「私は騙さないから、あなたも騙さないでくれ」というのはとても美しいし、「利便性」も最大化するでしょうからおおいに主張すべきですが、かといって皆がそれを承諾してくれるわけではありません。

 ではネットの匿名性はなくなるでしょうか。
 まあ、なくならないだろうというのはわかるのですが、少し複雑な気分です。

 かつて宮崎哲弥さんがネットの匿名性についてテレビでコメントをしたの思い出します。十年以上前だと思います。
 そのとき宮崎さんが匿名の必要性の例として挙げたのが「たとえば圧政下で重要な告発をするとき」でした。
 しかし北アフリカの民主化に際し駆動したのはfacebookという実名性の高いメディアでした。そのことが私の見解を複雑なものにさせます。あの一連の活動が匿名でなされていたら、結束を生んだでしょうか。それともこれは怪文書だという猜疑心を掻き立てたでしょうか。本人が特定できるプロフィールがある程度公開されている、というある種のリスクが信頼を生んだのでは、と思います。

 難しいです。

 信用に足る情報を発信していれば匿名でも通用する。が、そもそもその信用は今後「実名である」ことに依拠するかもしれない。だがしかし発信される情報が信用できて、かつ発信者が匿名であることを望むのであれば「利便性」という点から匿名は許されるかもしれません。うーん。
 たとえばTokyo Experimentのマチュさんは別に実名ではないが非常に有用なブログを書いていらっしゃる。この人は今後実名を公開してブログをやる必要はまったくありません。

 今日はこの辺までです。もうちょっと考えたいなー。

1 件のコメント:

  1. とりあえずセルフツッコミ的にまとめ。
    公開プロフィールに汚れがつかないネット利用、ひいては生活。これが一般的なネット利用者の指向になる。

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