2012年8月22日水曜日

夜を手放さない

 少し間が空いてしまいました。
 先週は帰宅して大酒を飲む、という夜を繰り返してしまいました。頼まれたフライヤーの製作も滞っているというのに、いやまったく酒の飲みすぎは百害あって一利なしにございます。
 SHACKLETONの、少し前に出たアルバム等を愛聴しておりました。アナログで買い揃えるのが大変そうなのでCDで購入しました。やはり素晴らしい音です。

 別のところでクラブと風営法について書く機会がありました。
 そこで頂いたコメントの中から、夜が持つ祝祭感や闇が人と人を親密にさせる効果、夜と昼の世界は分かれているなど、貴重な考え方を得ることができました。
 夜の魅力というのは確かにあって、それはもっと重視するべきだし、簡単に手放すべきではない。

  アメリカで、酒類の販売が禁止になる午前2時にクラブが閉まるのを受けて、日本でもピークタイムを早めれば現行の風営法下でも営業が可能だというのはまったく早計。

 法的な解決策などはまったく思い付きませんでしたが、「夜には根元的な魅力がある」ということを改めて思いました。

 通常、夜という時間帯は帰途に充て、風呂に入りビールを飲んで、ブログを書いてしまう。日中は既に始終ハレ化してしまっていますから、ケ(日常)に戻るのが夜だと思います。そうしたケから逸脱していく。暗闇の中に灯りを探す。思い切ってドアを開けるとそこにはハレ、祝祭がある。それはやはり夜である必要がないだろうか。

 夜の闇が他者の視線を遮るという考え方はできるでしょうか。他人の目、ここでは「法律/日常」と言い換えてもよいです、が届かない先へ赴くこと。こういうのも変身願望の一種なのかもしれません。

 現実的な落としどころ、ということでアフタヌーンパーティという方法は有効なのかもしれません。ただ、抗えない魅惑の闇を簡単に手放してはいけない。これはいったん手放したら取り戻すことはおそらく出来なくなってしまう。取り戻す行為そのものが違法になってしまうと、非常に動きづらくなってしまう。私たちはそのグレーな状態をできるだけ「なあなあ」にして延命させなければならない、そう思います。

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